第39回法華講全国大会


  平成28年5月22日   明石市民会館







 大会報道   (継命新聞・平成28年6月15日号より)

 所感発表   兵庫県加東市 大蓮寺檀徒 西森亜己子さん 「蜘蛛の糸」

 所感発表   兵庫県篠山市 興福寺檀徒 植野庸子さん   「心を大切に」

 所感発表   千葉県銚子市 法喜寺檀徒 横田澄江さん   「病を乗り越えて」

 現況報告   正信会副議長  茨城県龍ケ崎市 要蔵寺住職 田村龍道師

 議長挨拶   正信会議長   三重県津市    経住寺住職 古川興道師




 
大会報道   (継命新聞・平成28年6月15日号より)



 この日、JR山陽本線明石駅に近いバスの車庫から、会場まで貸し切りシャトルバスが運行され、大勢の大会参加者が会場へと輸送された。
 会場周辺には約3キロメートル東の海上に、神戸の東舞子と淡路島の岩屋とを結ぶ、世界最長の吊り橋「明石海峡大橋」が架かり、明石駅の北側には明石城や歌人・柿本人麻呂を祀る人丸塚などがある。
 市民会館2階のホール入口では、地元教区の法華講員が整列し、笑顔で参加者を出迎えてくれた。
 定刻に司会の渡邉廣雲師(聖妙寺)・秋田舟英師(法奨院執事)の開会宣言で、緞帳が左右に開くと壇上に整列したご僧侶の姿が現れた。
 はじめに信徒所感発表では、西森亜己子さん(大蓮寺)が「蜘蛛の糸」と題し、信仰に対する自身の姿勢を。次で植野庸子さん(興福寺)が「心を大切に」と題して、渡邉廣済師のエピソードを交えた信仰観を。最後に、横田澄江さん(法喜寺)が「病をのりこえて」と題して自身の大病を通じて得た話を発表した。
 若手僧侶の決意発表では、はじめに水谷秀研さん(宝蔵寺在勤)が「怪我を乗り越えて」と題し、人は一人では生きられないことを実感し、僧道の心がけを学んだと。
 次に浜中和興師(一信寺在勤)が「ご信徒と共に」と題し、信徒と共に苦しみ、共に泣き、精進する僧侶になりたいと披露。
 最後に吉田淳明師(興福寺在勤)が「兵庫で学んだこと」と題し、知恩報恩を忘れぬように頑張りますと決意を述べた。
 ここで正信会副議長の田村竜道師(要蔵寺)が登壇し、正信会の現況について報告した。最後に、正信会議長である古川興道師(経住寺)が、あいさつで登壇した。(3面掲載)
 本来ならば今年の大会は、堅持院に各地の僧俗代表者が集まって行われる計画だった。しかし、渡邉廣済師の逝去で変更となった。そこで来月の1周忌を前に全員で題目三唱して、故人を偲んだ。そして熊本地震に触れ、義援金の勧募と来年の大会を案内。話は終始、元気で笑いの絶えない内容に会場が大きくわき返った。 
 閉会の辞では、司会者が大会要旨をまとめる途上で、場内に第36回大会(滋賀県栗東市)における渡邉廣済師の記念講演の録音が流されると、あちこちでハンカチを目に押し当てる姿が見られた。ここで改めて、正信覚醒運動とは日蓮正宗からの独立や、新しい教義を確立する運動ではないこと。私達はあくまでも「我等こそ富士の本流」の自覚と誇りをもって、現在の日蓮正宗宗門の謬った信仰を正し、富士の清流を宗門に蘇らせることを目的とする、極めて当然な宗教活動であることを確認した。  
 その後、司会者の誘導に従い参加者が順序よく退場すると、外には目映いばかりの陽光が輝いていた。



 所感発表 「蜘蛛の糸」
 兵庫県加東市 大蓮寺檀徒 西森亜己子さん



 私は昔から、ずっと疑問を抱いていたことがあります。生まれた時から当たり前に日蓮正宗を信心していて、深く勉強もしなかった私ですが、子供の頃、他宗を邪宗と呼び、他を認めないというところにすごくショックを受け、その思いを胸の片隅にずっと残したまま、月日は経ちました。
 話は変わりますが、私は「何をしていても、ご本尊様は見ているからね」といわれて育ちました。大きな失敗をしたときは、ご本尊様の前で正座して諭されました。
 そして私も母となり、いつも子供に「良いことも悪いこともご本尊様が見ているよ!いいこと貯金をしていこう」といっています。
 見返りを求めるのではなく、ささやかな善行を積んで、いいことが起きたときはラッキーと思うようにしています。たとえばスーパーなどの駐車場に放置されたカートを見つけると子供たちは言わなくても直しに行きます。もちろん悪いこともしますが、その時はたくさんいいことをして挽回すればいいと思っています。
 また私は「人生万事塞翁が馬」という諺が好きで、いいことも悪いことも繋がっているから喜び過ぎず、落ち込み過ぎず、起きたことが自分にとってどういう意味があったのか…そんなことをよく考えます。
 そんな中、昨年の全国大会での古川議長の言葉が胸に残っています。
 それは「この正信会で一緒に信心している皆さんは砂浜で足の爪の上に残った砂のように貴重な存在である」と言われたことです。
 それはどういうことなんだろう…私は思い出しては考えました。
 ところが、このような発表の機会をいただいて、自分なりにずっと考えて、少しすっきりしたことがあります。それは、大聖人の教えは、自分を高めるためにあると感じたからです。
 日頃から、一つの困難を乗り越え、すこし楽になったなぁと思ったところで、次に起こる困難がすごく不思議でした。
 結局楽にはならないのか…と何度も思い、その困難を乗り越える意味を考えた時、ご本尊様が私を成長させるために与えた困難、いいかえると修行だと思うようになりました。
 ところで、私はずっと宗教とは、心の平安を得るためのものだと思っていました。世間では葬儀の時だけ必要としたり、つらい状況ですがったり、願いを叶えるために拝んだり、大義名分で祀って他人の命を粗末にしたり…なくならない争いが悲しくて、どうして平和にならないのかと何度も思ってました。
 信心とは溺れたときに掴む藁でも、他力本願にすがるお守りでもなく、自身の手でしっかり掴んでいないといけない、芥川龍之介の小説に出てくる『蜘蛛の糸』ではないかと思いはじめました。
 修行とは、ご僧侶がするものと思っていましたが、在家の私たちも自分を高めるために、日々修行し、その道の先にいらっしゃる大聖人に少しでも近づけるように、日々蜘蛛の糸を上る努力をしなければならないのだと思うようになりました。そして、みながその教えを実践すればどんなに素晴らしい、争いのない世の中になることだろうかと思うようになりました。
 しかし世の中は、見返りを求めたり、他人任せ、人のせいにすることの方が多く、自分を正しく保ち、高めていくのは難しいことです。そのような中、私たちこそがあるべき姿なのだと気づき、誇りを持って生きていこうと思います。
 そして、大聖人の教えに出会えたことは当たり前ではなく、ありがたいことと感謝して、日々修行であると意識しながら、過ごしていきたいです。


 所感発表    「心を大切に」
 兵庫県篠山市 興福寺檀徒 植野庸子さん



 月日の流れは早いと申しますが、堅持院ご住職のご逝去から早や1年になろうとしています。ご住職が生きていたらという思いは、いつまでも失われるものではありません。正信会にとって大きな存在であったご住職なき今、残された私たちはご住職の意思を引き継いでみなさんの力を、思いを合わせて正信会を支えていくことが、一番の恩返しになるかと思います。
 本年の大会は、堅持院ご住職がお元気でありましたら堅持院で行われる予定で、その時ご住職は、会を割るなということを訴えるはずであったと聞いております。たびたび心ない辱めを受け、会を出て行けごかしのような目に合われましたが、正信会結成に責任をお感じになり、いつも「不徳のいたす所」とニコッとされ、正信会を退会したり、会費の不払いをしたり、会を割ろうとしたりすることはありませんでした。
 私が大学生の頃、大阪のいずみホールでグリーグのピアノコンチェルトをオーケストラと演奏させていただくことがありました。一年近く前から両親に「その日は空けといてね、こんな機会はもう一生ないから来てね」と頼んでいたのですが、結局「お寺から離れられないから行けない」と2、3日前に連絡がありました。残念な思いでいっぱいだったのですが、そんな両親を堅持院ご住職や堅樹院ご住職、奥様が引っ張って連れてきてくださったことがありました。「俺が行くと言えば道尊は行けないなんて言えないからな」なんておっしゃっておられました。本当にありがたかった大切な思い出です。
 今回、お話をさせていただく機会をいただき、私自身の信仰は何なのか、改めて考える時間を持ちました。正信覚醒運動から36年が経ち、そもそも覚醒運動を知らない人が私を含め増えてきました。また、この36年の間にも正信会の中で考えの違いから分裂し、もうお目にかかることができなくなったご住職もいます。正しい日蓮正宗の信仰をしていかなければならないと始まった正信会の未来は、これからどうなっていくのか。正信会についてインターネットで調べると、いずれ衰退する新興宗教だの、信心のない者、盲信に過ぎず地獄に堕ちるなどと書かれていて、非常に悔しい思いをしました。何を信じ、どう生きていくのか、堅持院ご住職の歩まれた軌跡は、その一つの答えを示してくださったと思います。
 正信会員が処分を受けるきっかけとなった、東京の日本武道館における第五回日蓮正宗全国檀徒大会において、堅持院ご住職はこう説法されておられました。
 中途半端な欲をかいてはいけない、「お金をかけずに、お金が儲かる」「ちょっと信仰すれば病気が治る」「立派な家に住めるようになる」「女中さんの三人もつれて歩ける」
 そんなうまい話はありません。ところが皆んなそんな話に引っかかっています。それは中途半端な欲を持っているからであります。大欲を持つべきです。頭から足の先まで欲の塊となって、三毒強盛の我が身を、仏にしてほしい、仏になりたいと大欲を持ち続けてほしいのであります。人間として生まれてきたからには、一切衆生を皆仏にするのであるという大欲を持つべきであります。
 大変わかりやすい例えで折伏について示されておられました。
 私は去年の10月に第二子を出産し、今は子育てに毎日が慌ただしく過ぎていきます。亡き母が、「子供が自分の目の届かぬところで、事故にあったりしないか、どうあがいても防ぐことのできないことならば、もう祈るしかないのよ」と言っていたことがよく分かるようになりました。どんな人でも、人生の中で思い通りにいかないことや、悪いことが重なる時が必ずあります。それこそが自分を成長させるために与えられた試練なのだと、逃げたり、惑わされることなく乗り越えていくことが、大切なのだと思います。
 「病気にならない」ことや「病気が治った」ことがすごいのではなく、「病気と闘う姿」こそが尊いのだと思うようになりました。そして信仰とは、自分のすべてを御本尊様にゆだねることであるとも気付きました。
 また堅持院ご住職は、滋賀県栗東市で開催された第36回法華講全国大会において、こういわれておりました。
 誤った貫主がでたとしても、当宗は必ず自らの誤りは自らの手によって、きっちりと直された歴史があります。ですから、たとえ時間はかかろうとも、必ず英邁なお方がご出現なされ、必ず「宗門が間違っていた」と皆様方に頭を下げられる時が来る。それを信じて待つのが信仰であります。私は大石寺の坊主であります。皆様方は大石寺の信徒なんです。総本山は大石寺であります。
と、声を大にして叫ばれておられました。
 今考えますと、ご住職の遺言であり、私たちに道を踏み外してはならないと、警告されたのかなとも思います。何なることが起ころうとも、心を大切にして、南無妙法蓮華経と御本尊を信じ奉り、英邁なお方が出現される時まで、頑張っていきたいと思っております。
 みなさまご清聴ありがとうございました。


 所感発表    「病を乗り越えて」
 千葉県銚子市 法喜寺檀徒 横田澄江さん



 昨年6月霊山へ旅立たれた堅持院の渡邉廣済師も地元兵庫での全国大会開催をお悦びと思います。
 幼いころより、お寺の庭で遊び、お寺の鐘と太鼓の音を聞いて育ちました。お経を習い、御書を拝読し、ご僧侶方のお説法を聞く。こうした日々は信仰が日常生活の中で、自然と身体に収われていった良き環境であったと、考えております。
 私ごとですが、2年前の3月8日にがんの告知を受けました。子宮体がんステージ3。4センチほどの腺がんがみつかりました。医師は、手術で病巣を取り除き、その後半年間は化学療法の治療が必要ですと、ゆっくりとした口調でお話を進めて下さいました。
 「あなたはお若いのですぐ手術をしましょう」とスケジュールを調整して「3月20日でよろしいですか?」と。告知からわずか13日後のことです。
 誰にでも人生設計があるように、私にも生きるための目標がありました。家族に何と伝えようか。仕事はどうしよう。不安や恐怖、様々な思いが頭をかけめぐり、果ては何かの間違いではないかと思う程でした。
 10時間にも及ぶ大手術の同意を求められた時、まだ私には自分の病に向き合う気持ちの整理がついておりませんでした。「人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし…」とのご文が浮かびました。「手術しなければどれくらいですか?」とやっと言葉をしぼりだした私に、医師は「何ともいえませんが、半年ぐらいでしょう」とおっしゃいました。この時ほど、死というものを身近に強く感じたことは、それまでの生涯でありませんでした。同意書には手術に立ち会う家族の承諾も必要でした。帰り道、同意書を手に自分の非力さと脆弱さに震えました。
 私にできることは、ただ御本尊様に題目を唱え、目を凝らし耳を澄ませ、自分と自分の病に対峙することでした。受け入れるには時間が必要でした。3月20日の手術は、わがままをいって見送らせていただき、その間父の知人でもある医師に相談し、家族の負担を考え、自宅から近い病院へ、診断資料と紹介状を持って移りました。
 身辺を整理しながら、私にできる唯一のことはお題目を唱え、祈ること。
 いかに死ぬかが決まれば、いかに生きるかが決まってきます。
 生きる決意、病と闘う決意を御本尊様の前で誓いました。6月26日手術は無事成功し、麻酔が薄れてきた時の激しい痛みも、生きている証と思い、心の中でお題目を唱えて耐え続けました。7月8日、主治医より一時退院の許可がおりた10日後、抗がん剤の治療がはじまりました。その副作用は耐えがたいものでした。1回目の投薬から1週間は吐き気と発熱、体中の関節が痛み、全身の器官が動きを止めてしまったような何ともいえぬ倦怠感に、ベッドから起き上がるのがやっとの状態でした。10日目頃から、毛髪が抜けはじめ3週間目には生え際に、わずか残っている程度でした。起き上がって軽い家事などはできるようになっても、微熱や筋肉痛が続きました。白血球の数値が戻ったところで、2度目、3度目と回数を重ねるたび、症状は悪化していきました。手足はしびれて感覚が消え、力が入らず真っ直ぐの歩行もままならず、味覚は薄れ、頭は集中できず、すべての五感にフタをされ、生きる喜びを少しずつ少しずつ奪われていくようなつらい治療でした。
 治療を終えて、感覚や体調が戻りはじめた去年6月9日、やはり病と闘われていた廣済師のもとへ父とお見舞いに伺いました。首筋の血管から薬を入れるためのカテーテルを通す処置を終えたばかりで、たいへんお疲れのご様子でした。その5日後、6月13日11時37分、講中発願による唱題のさなか、お守り御本尊を右手に、安祥として霊山へまいられたと伺いました。
 最後の最後まで一筋に大聖人様のお言葉を信じ貫いた、素晴らしい臨終のお姿、成仏のお姿を身をもってご指導いただけたこと、今も感謝の気持ちで一杯です。
 「病によりて道心はをこり候」何がどうなるのか、分からないのが世の常と申します。御書の一文一句が私の人生において、くっきりと鮮明になってゆくのを感じております。
 今ここで、みなさまの前でお話をすることも何かの因縁と思います。仏は超えられぬ試練は与えぬと申します。つたなく未熟な私の話が、病でつらい思いをされている方やそのご家族の何らかのよりどころとなり、少しでも勇気づけて差し上げることができるならば、それに勝る幸せはありません。つらく苦しいときも、ともに信心に励むことで一歩前に進む力、人生にそれぞれの命の響きを感じながら、ともに生きてゆく強い力を与えてくれた信仰に巡り値えたことに、心から感謝しております。
 またそこへ導いて下さった廣済師はじめ、正信会僧俗、同志のみなさま方、自分のことのように苦しみを共有して支えてくれた家族に心からお礼を申し上げたいと思います。


 現況報告  
 正信会副議長  茨城県龍ケ崎市 要蔵寺住職 田村龍道師



 みなさん、こんにちは。
 本日はここ明石市民会館に全国から正信の同志が集い、正信覚醒運動の推進を確認できますことは、護法の上から誠にありがたく思うものであります。
 さて、現在の正信会を取り巻く状況は、ここ数年で大きく変わってまいりました。運動当初は、池田教と化した創価学会の謗法を正すことが主な活動でした。
 それが日達上人のご遷化に乗じ、猊座を簒奪した阿部日顕師に正信会僧俗は宗外へ追放され、阿部・池田の蜜月時代が十年ほど続きました。やむなく私達は池田創価学会と、血脈詐称の阿部宗門の両者と対峙せざるを得なくなりました。
 その後、阿部・池田の野合が破綻し、互いに憎悪むき出しの争いで、現在に至っていることはご承知の通りです。しかし、ここ二、三年は想定外ともいうべき事態が生じております。それは日蓮正宗の宗是、仏法の根本とも根源とも拝す戒壇の御本尊に対し奉る、疑義と不信です。
 本日はこのような日蓮正宗の僧俗に、あってはならない謗法問題を中心に報告したいと思います。
 初めに阿部・早瀬宗門の現状は、相変わらず法主絶対の邪義を振りかざし、法主にひれ伏すことが、日蓮正宗の正しい信心のごとき主張を、ますます徹底させています。その弊害は宗務行政にも深く影を落とし、法主や宗務院の批判が一切ご法度なのは勿論、互いに疑心暗鬼で告げ口にも用心し、誰も信じられない状況のようです。
 さらに現宗門は、折伏・登山・金集めの三点セットを強力に推進し、過酷なノルマを課します。達成できない末寺住職は宗務院に呼びつけられ、厳しい査問を受けるのです。中には強制的に隠居させられるケースも少なくありません。
 査問を恐れ、苦し紛れに報告内容を誤魔化し、それがバレて処分される者もいるそうで、哀れとしか言いようがありません。それが阿部・早瀬一族の僧侶に限っては、なんのお咎めもないというのですから、呆れるばかりです。
 火事を予知したネズミは事前にその家から逃げ出すと言いますが、業火に焼かれる前に宗門から逃げ出す僧侶が相次いでいます。また情けないことに、愚痴を聞いて欲しく、正信会僧侶にコンタクトを取る者もおるようです。
 現宗門はもう末期症状で、こんなカルト教団に明日のあろうはずがありません。現宗門の戒壇本尊に対する拝し方の誤りは、ここでは申しませんが、私たちが正信の旗を掲げ続ける限り、その間違いに目覚める僧俗が必ず出て来ると、信ずるのであります。
 創価学会は一昨年の十月、聖教新聞に「創価学会の宗教的独自性を明確にする」ために「弘安二年の御本尊は受持の対象にしない」と発表しました。かつて池田大作氏は「御本尊はみな同じです」と発言し、暗に戒壇本尊を否定しましたので、いづれこのようなことになるとは思っており、それほど驚きはしませんでした。いよいよ池田さんの写真でも拝むのかなと興味津々でしたが、一年半経った今日も大石寺ご歴代上人書写の御本尊を拝んでいて、何も変わってはいないようです。
 これも阿部宗門からの登山停止や破門に対抗し、戒壇本尊の否定が目的だったのかもしれません。しかし大石寺ご歴代上人が書写された御本尊には、必ずお手本があるはずで、それが戒壇の御本尊なのであります。
 ですから、創価学会会館に安置する御本尊も、会員宅の御本尊もみな同じく戒壇の御本尊なのです。そうであればいかに戒壇本尊を否定しようとも、ご歴代上人書写の御本尊を拝んでいるかぎり、戒壇本尊を否定することはできない道理です。いづれ創価学会がこの自己矛盾に苦しむことは必至でしょう。
 三十数年前に「御本尊はみな同じです」という池田氏発言を、御戒壇様を否定する大謗法と、敢然と立ち上がった憂宗護法の青年僧侶達が、正信会です。
 そして今再び、池田創価学会は明白に戒壇本尊を否定しましたが、一部の僧侶達は、池田大作氏にあびせた批難を忘れたかのように、沈黙したままでおります。一部の僧侶達とは包括宗教法人を設立し正信会を離脱した人達です。
 宗教法人が認可された当初、法人加入者も正信会の一員でなんら変わらないと言っていましたが、法人の体制が固まるに従い、私達正信会(任意団体)とは信仰が違うと言い出しました。さらに宗教法人正信会は、私達正信会から何ら制約を受けるものではない、と主張し始めました。
 今日では、「任意団体正信会と宗教法人正信会は、それぞれが別個の宗教団体として存在し、独自の宗教活動を行っている団体である」ことを公に認めたのであります。
 彼らが正信会を離脱する一番の理由は、「信仰の違い」であります。初めは何がどう違うのか、はっきりしませんでしたが、徐々に本心が明らかになってきました。その本心とは、創価学会以上の明確さで「戒壇の御本尊」を否定することにあったのです。
 正信会を離脱するのも自由、戒壇本尊を否定することも自由でしょう。しかし否定するのならば、その前に過去の自らの言動を取り消し、とりわけ批難をあびせた池田大作氏には、深くお詫びするのが人の道ではないかと思うのです。
 それに、戒壇本尊を否定しながら、寺院安置の御本尊も、所属する法華講員宅の御本尊も、創価学会と同じように大石寺ご歴代上人が書写された御本尊です。この矛盾をどう解決するのか、この件では先輩格の池田創価学会に学んでいくのか、それとも創価学会とは違うのか。いずれにしても両者が、戒壇の御本尊を固く信じ書写されたご歴代上人の御本尊に、お題目を唱えていることだけは確かですから、今後の言動をしっかりと見まもりたいと思います。
 また彼らは私たちを「帰山派」と批判します。その意味は、大石寺に帰りたいと願っている連中ということです。ご覧の通り、私たちは日蓮正宗の法衣である薄墨の衣に、白五条の袈裟を着ており、今でも日蓮正宗の僧侶であります。血脈詐称の阿部日顕師に宗外へ追放されましたが、我々こそ真の日蓮正宗僧侶であるとの自覚と、誇りを持っております。
 だから帰る、帰らないではなく、いつか正信覚醒運動が広く宗門僧侶に理解される時が来たならば、自然に一体となり日蓮正宗本来の信心が蘇るのです。そのときをこの世で迎えるか、霊山で迎えるかはわかりません。しかし、いつかその時が来ることを固く信じ一日一日、正信覚醒運動に身命を捧げたいと願うだけであります。 
 今から二千年以上前の興味深い例を紹介します。
 仏教に小乗教と大乗教があることはご存知と思います。小乗とは大乗側からの蔑称ですが、釈尊滅後の教団が次第に権威主義化するなかで、「釈尊の原点に還れ」という正信覚醒運動ともいうべき復興運動が起こり、多くの大乗経典が編纂されました。
 この復興運動を担った人々は、いったいどのような人達かが問題でした。以前は在家教団説が有力でしたが、近年は否定され、小乗教団の僧侶達との説が定説になっております。
 大石寺の歴史も同じです。信仰上の堕落を招いた時代が何度かありましたが、その都度、部外者の力ではなく、同じ大石寺僧俗によって御三祖の信心を取り戻して来たのです。宗教法人正信会という別教団を作り、戒壇本尊を否定し、どうやって日蓮正宗を改革するのでしょうか。
 こう言いますと、日興上人が身延を離山した時の「原殿御返事」に「いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候え」のご文を引き合いに、たとえ大石寺を捨てても聖人の御義を世に立てることが大事だと強弁します。はたしてそうでしょうか。この御文のすぐ後に、「日興一人本師の正義を存じて」とあります。この日興一人という言葉の重みを考えず、軽々しく自身に置き換えて「聖人の御義を相継ぎ」などと考えることが、いかに慢心であるか、よくよく考えるべきであります。
 ここ数年にわたる正信会内のごたごたによって、みなさまには大変な不安とイヤな思いをおかけし、誠に申し訳ない事と思っております。しかし、一連の騒動を引き起こした一部の僧侶達が、正式に正信会を離脱いたしました。これよりは正信覚醒運動の初心に立ち返り、新たな思いで正信の旗を掲げ、覚醒運動成就を願って精進してまいりますので、みなさまのご理解とご協力を心からお願いする次第であります。
 以上をもちまして現況報告といたします。



 議長挨拶  
 正信会議長  三重県津市    経住寺住職 古川興道師


   活動方針の取り組みを徹底!
 爪上の土として自覚と誇りを!

 みなさん、こんにちは。
 第39回日蓮正宗正信会法華講全国大会が各地より信心あつき方々のご参集を得て、ここ明石で盛大に開催されまして、誠におめでとうございます。
 約一ヶ月ほど前に、九州熊本で大変な地震が起き大きな被害が出ました。心よりお見舞い申し上げます。いまだに余震が1500回以上続いているそうです。
 熊本には4ヶ寺、お隣の竹田にも1ヶ寺の正信会寺院がございます。仏具が壊れ、壁にヒビが入るなど大変だったそうです。ご信徒に亡くなった方はおりませんが、家を失ったり怪我をしたり、いまだに避難所で生活されている方もいるようです。そこで正信会あげて義援金を募ることを決定しました。どうぞみなさんご協力をお願いします。
 そのような中で今日、九州よりご参加の方々がおります。九州からご参加の皆さん手をあげて下さい。会場の皆さん、激励の拍手をお願いします。頑張って下さいね。(拍手)
 さて、今大会を立派に開催して頂いた、兵庫教区の僧侶並びにご信徒の皆様、ありがとうございました。兵庫教区の皆さん手を上げて下さい。会場の皆さん 感謝の拍手をお願いします。(拍手)
 昨年、名古屋の大会で「来年は兵庫で開催します」と申しました。予定では西宮市の堅持院で代表者会議のような、ご信徒の皆様とヒザをつき合わせて、いろいろな質問に答える形式を考えていました。
 ところが長年、正信会のためにご尽力いただいた渡邉廣済ご尊師が6月13日に急逝され、堅持院を本山に明け渡したために、開催出来なくなりました。そこで急遽、会場探しを始めたのですが、大きな会場は1年前からの予約で、ひと月以上遅れた会場探しは、どこも予約が一杯。ようやくここが空いていたのです。これは御本尊様が守ってくれたのだと思います。
 さて、堅持院さんのことを少々申し上げます。堅持院さんは覚醒運動の初めから、創価学会の誤りや宗門の是正に立ち上がり、正信覚醒運動を牽引された方です。正信会の統一見解を発表し、覚醒運動はあくまでも本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、英邁な御法主が出現されて覚醒運動が認められ本山に帰るまで頑張ろう、と激励されました。
 私達もその考えに同調して今日まで、初志貫徹し頑張ってきたことは、ご存知の通りであります。
 せっかく兵庫県で大会を開き、6月13日で1周忌になりますから、ここでお題目を三唱し、堅持院さんのご高徳を称えたいと思いますが、ご賛同を願えますでしょうか?(拍手)
 それではご起立し、お念珠をかけて私と一緒に題目三唱して下さい。2回唱えます。1回目と2回目の唱題の間に、「妙海阿闍梨廣済房日利大徳、第一周忌・増道損生・仏果菩提也」と観念します。憶えられない方は「堅持院さん一周忌、ありがとうございました」と心の中で念じて下さい。それでは、南無妙法蓮華経・・・南無妙法蓮華経。ありがとうございました。
 さて、長い間私達と共に正信覚醒運動を推進してきた法人派(宗教法人正信会)の方達ですが、もう4、5年になりますか、私達とは別行動を取るようになりました。全国大会も別、継命新聞も取らなくなり、新しい新聞を発行しています。
 そこでだんだん分かってきたのは、信仰の根本が違うということです。つまり私達はあくまでも弘安二年十月十二日ご図顕の、本門戒壇の大御本尊を根本に信仰していますが、法人派の方達は戒壇の御本尊に疑問を持っているようですし、もう総本山大石寺に帰る気持もないようであります。
 先月、裁判所から(金銭問題もあり裁判になっていました)和解勧告がでまして、お互い承認しました。
 その和解案の要旨とは、
 (1)私たちと法人派は別個 の団体であることを確認 する
 (2)財産は私たち正信会が 3分の2、法人派は3分 の1、つまり2対1で分 配する
こういう事になりました。私たちが目指した「理想的な和解」でした。
 皆さんには本当に長い間ご心配・ご迷惑をおかけいたしましたけど、これで今後の覚醒運動に集中することが出来る様になりました。別れることは本当に残念ですが、一面すっきりした報告が出来ました。これも御本尊様のお陰です。
 私達が信仰している一番の理由は、日蓮大聖人様の教えがすばらしいからであり、そのすばらしい教えすべてが凝縮しているのが御本尊です。その御本尊の根本は「本門戒壇の大御本尊」です。つまり世界一ありがたい御本尊です。
 二十六世日寛上人は『六巻抄』の「文底秘沈抄」に妙楽大師の言葉を引用し「たとえ、発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し」と、更に「若し正境にあらずんば偽妄なけれども種とはならず」とご指南されています。
 つまり「信心する動機が成仏とか人格完成というようなものではなく、病気を治したい、幸せな家庭を築きたい、ああなりたい、こうなりたいということで信心を始めた人でも、正しい御本尊を拝めば功徳は大きいし、願いは叶いますよ。しかし、拝む御本尊が間違っておれば、いくら真剣に修行しても成仏できませんよ」ということです。
 創価学会も法人派も本門戒壇の大御本尊を否定したり、疑義を呈しております。つまり「世界一ありがたい御本尊」を信心しないのですから、もう私達とは別です。誠に残念です。
 また宗門も、戒壇の大御本尊は御宝蔵に秘蔵しておかねばならないのに、「直拝しなければ成仏できない」などと、御本尊を見せ物のように、また経営的に利用しています。こんなことでは大罰を受けることは当然であります。
 これは昨年の大会の折りにも申しあげましたが、大聖人様は「三沢抄」に「仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれども、まことに仏になる人は爪上の土よりもすくなし」(全1487頁)と仰せです。
 いよいよ正信会の我々が「爪の上の土」になってきました。どうか皆さん爪の上から落ちないようにして下さいよ。「我等こそ富士の本流」の自信をもって、信心に覚醒運動に精進していきましょう。
 さて、正信会の活動方針が新しくなったのは憶えていますか、何でした?
 一、正信の継承こそ我等 が使命
 二、法燈相続は寺院参詣 から
 これについては、継命新聞正月号の議長挨拶に少々書きましたが、皆さん方の寺院での取り組みはどうですか。物事を達成する姿勢や、組織を運営する上で、ひとつ参考にしていただきたいのが次の言葉です。
 (1)真剣だと、知恵がわく
 (2)中途半端やいい加減だ と、愚痴やいい訳ばかり
皆さん、思い当たることがあるでしょう。真剣に立ち向かうなら、必ず知恵がわいて来ます。わいてこない方はお題目をあげて下さい「以信代慧」です。そのつもりで覚醒運動や、活動方針に立ち向かって頂くことをお願いします。
 最後になりますが、来年の第40回全国大会は東日本の南三陸、あの東日本大震災のおり、防災センターで結婚間近の女性職員が最後まで住民にマイクで避難誘導した、あの地です。現在、会場予定のホテルと交渉中ですが、来年5月21日に開催の予定です。はっきり決まりましたら、また継命新聞に発表しますので、よろしくお願いします。
 あの大地震当時、正信会の僧俗から5千万円前後の義援金が集まり、亡くなられた方にはお悔やみを、家屋損傷や怪我をされた方にはお見舞いを、そして被害を受けた正信会寺院にも修繕費を支援しました。そして一般社会には日本赤十字社や、「あしなが育英金」と申しまして、親を亡くした子供さん達の教育費として、5百万円ほど寄付しました。皆さんには改めてお礼を申し上げます。
 それ以来、特別には何もしていませんが、3月11日前後の御講には必ず、物故者の回向をしてきました。そこで正信会はかねがね、なんとか7回忌には現地で大会を開催し、その中で追善法要を行いたいと考えてきました。そういう意味もありますので、よし参加してやろうという方はよろしくお願いします。
 以上、長々と申し上げましたが議長あいさつといたします。ありがとうございました。

 (継命新聞 平成28年6月1日号掲載)


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