法筵・ほうえん


第38回全国法華講大会 記念講演

平成27年5月17日 名古屋駅前 ウインク愛知大ホール



「生死二門の成仏を」

           北海道名寄市 覚知寺住職 小平慈周師


 ただいま、ご紹介にあずかりました小平慈周(こだいらじしゅう)と申します。現在、私は北海道の北部に位置した名寄(なよろ)市にある覚知寺(かくちじ)をお預かりし、御奉公させていただいております。
 実は、私は縁あって出家得度(とくど)したのはこの名古屋でして、小学校・中学・高校卒業までこの地におりました。そして、お寺が市内中心部にありましたから、今はきれいな公園になっていますが、テレビ塔の下の石原(いしわら)で学校の友達と野球をしたり、金のシャチホコの名古屋城天守閣の真裏にある内堀で、フナやコイを釣った思い出があります。
 僧道を歩む上で、また一人の人間形成においても、多感な時期をこの地ですごしまして、半世紀を過ぎた今でも、学校時代の友人との交流は続いております。
 そのような縁(えん)にひかれてか、こういう席に着くのは、得手(えて)ではないのですが、大会実行委員の大先輩から半分指名の声がかかりまして、本日ここに座らせていただいた次第です。
 つたない話とは存知ますが、少々お耳を拝借したくお願い申し上げます。


 大会テーマ 〈正信の継承は我等が使命〉


 さて、本日私の話は、本大会テーマの「正信の継承は我等が使命」をふまえて、正信を継承することの具体的な中身、それによって得る御利益(ごりやく)と申しますか、「生きてをわせしときの成仏」と「死してのちの成仏」について、即ち「生死(しょうじ)二門の成仏」について話をさせていただこうと思います。

 〈光陰矢のごとし〉

「光陰(こういん)矢のごとし」との諺(ことわざ)がありますが、私達の人生を振り返りますと「アッ」という間に今日(こんにち)を迎えて、はや大半が過ぎてしまいました。正信覚醒運動も40年にならんとし、若い方々にはよほど関心をもっていただかないかぎり、この運動の細かい推移(すいい)などはよくわからないのが実体だと思います。
 時間の経過とともに、当事者でも「むかしそんなことあったなぁ…」などと、記憶も曖昧(あいまい)になることが多々あります。
 しかし、細かいことはさておき、忘れていけないことは、今大会テーマのごとく「正信という名の信心の中身を盤石(ばんじゃく)なものにすること」と、そして「その正信の信心を自らがしっかり持(たも)ったうえで、それを次世代へ伝えること」です。
 即ち「盤石な正信を培(つちか)って、法燈相続・令法久住へのご奉公に日々生きること」が大切だということであります。


 〈自受法楽の人生〉

 さて、世間でも「人生とはあざなえる縄の如し」と言い、これは信心をしていようがいまいが、人生とはそういうものだと言っているのですが、おもしろいもので、わざと大切な部分を「ひらがな」で表現することによって、人に深く考えさせる工夫がなされているように思います。つまり、「人生とはこういうものだ」とサラッと言いながらも、「大切な事の詳細は伏せている」ようなのです。
 少し詳しく見てまいりますと、人生とは「あざなえる縄の…」とあり「あざなう」とは辞書に、「縄をなうこと」としか出てきません。では何故「人生とは縄〓を〓な〓う〓が〓ご〓と〓し〓」といわずに、「なう」の前にわざわざ「あざ」という言葉を加えているのでしょうか。
 この「あざ」をもって何を強調したかったのか、それはどのようなものなのかと考えるとき、ひらがなだけの表現では意味がなかなか判らないのですが、「あざ」というひらがなの部分を「字(あざ)」という漢字に置き換えてみると、なるほどそれなりの意味がみえてくるのであります。
 「字」という文字を思い浮かべていただきたいのですが、あの地名といいますか…限られた場所を示す「○○県○○郡○○町字(あざ)○○大字(おおあざ)○○」というように表記するときの、「字(あざ)」という文字です。
 字という漢字は「宀」うかんむりに「子」という文字が配されていますが、この漢字は、「屋根の下に大切な大切な我が子を入れて、外敵や雨風から護る」という意味をもっています。
 ですから○○町字(あざ)○○という地名は、その地域の中でも「大切な大切な場所」という意味で、決して「ど田舎な場所」などという意味ではありません。
 ところで、縄は「あむ」とは言わず「なう」と言います。米を収穫した後の稲藁(いなわら)を木槌(きづち)でたたいて柔らかくし、その藁(わら)で「縄をなって」いくのですが、藁が1本では縄は作れず、最低2本で「なわ」なければなりません。
 丈夫で途中で切れることのない、均一な太さの縄をなうには、ちょうど字(あざ)という文字のごとく、大切な大切な我が子を護るように、丁寧に丁寧に手を抜かずに「縄をなって」いきませんと、人生という確かで丈夫な縄にはなりません。
 ですから、人生とは縄のように苦楽という二本の藁で、大切な我が子を雨風から護るようにして、なってゆかなければならないというのが、この諺の言わんとするところであります。


 〈楽を見落としている現実〉

 しかしながら私達は本能的に楽は大いに歓迎するが、苦からは逃げようとします。実はそれでは片手落ちになってしまい、しっかりした人生の縄がなえないのです。苦楽というものにしっかり対峙(たいじ)して、丁寧に丁寧に生きること、そうしないと必ず悔いを残す人生になってしまいますよ、と教えているわけです。
 人生とは一見すると苦しみばかりのように思えるのですが、実は苦楽が交互にやってきている…ちょうど縄を作り上げている2本の藁のように、必ず螺旋状(らせんじょう)になって、あるときは苦しみが表側に出てきても、次には必ず反対の楽が出てくるのであると。
 ただ私達は愚癡(ぐち)に惑わされて、それに気づかないだけなのです。したがって確かな縄のような人生にするためには、苦を避けようとしたり、楽ばかりを求めてはいけない。即ち苦楽としっかり向き合っていかなければならない、ということを教えているのであります。

 〈大聖人様のご教示〉

 実はこの諺とまったく同じような内容の忠告を、大聖人様もご教示遊ばされております。
 即ち、鎌倉の檀越(だんのつ)の四条金吾殿が、日蓮御房の仰せのままに主君への忠義を怠(おこた)ることなく、かつ信心に励めば励むほど、同僚には陰口をたたかれ、そのうえ主君へは讒言(ざんげん)される等が重なり、窮地に陥ったことがありました。
 そのようなときに、大聖人様からいただいた有名な御文が、
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐ(居)させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいだし給へ」
であります。
 この御文の直前には、
「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外(ほか)の遊楽(ゆうらく)なきなり。経に云く『衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)』云云。此の文あに自受法楽(じじゅほうらく)にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給ふべきや」
と仰せられております。
 即ち、苦楽ともに思い合わせてお題目を唱える以外に、自受法楽という安穏な世界は無いのですよ、と諭(さと)されたのであります。
 ところでこの御文についてもひ〓ら〓が〓な〓で書かれたところの解釈が、意外と曖昧(あいまい)にされているように感じますので、いま少し立ち入ってみようと思います。
 「苦をば苦とさとり」の「さとり」というひらがなには、仏法の真髄を悟るの「悟(さとり)」という漢字を当てて問題ないようですが、次の「楽をば楽とひらき」というところの「ひ〓ら〓き〓」というひらがなに、どういう漢字を当てたらよいか、ということであります。
 「ひらき」というところに、たとえば扉を開くときの「開(かい)」という漢字を当てたのでは、「苦をば苦と悟り」次に「楽をば楽と扉を開いて」その先どうなるの? となって意味が判然としません。
 一般に「ひらく」と訓読(くんよ)みする漢字は、たとえば原野(げんや)を開拓(かいたく)するというときの「拓」という漢字、昔存在した拓殖(たくしょく)銀行の拓という字や、発電所の「発(はつ)」という漢字など、ひらくと訓ずる漢字は結構あります。
 では、この御書の意味を正しく捉えるための漢字はというと、実は手紙の冒頭句に使う「拝啓(はいけい)」の「啓」という漢字が最適であるように思います。
 この拝啓の啓(けい)という漢字は「謹(つつ)しんで私の思いをあなた様に披瀝(ひれき)させていただきます」という意です。まさに「楽をば楽とひらき」とは「苦をば苦と悟り」と一対の言葉ですから、信仰の上から両方の意味を捉える必要があります。
 したがって「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」とは、ひとりの信仰者として仏前にひざまずいて、我が身に降りかかる苦には過去の悪い因縁によるものと、今世における善い因縁によって起こる二つがあります。 即ち、法華経を経のごとく行ずるために起こる苦もあり、苦でも二種類あることを深く悟って、ややもすると見落しがちな楽(らく)・喜びというものをよくわきまえる…苦楽の二つをよくわきまえて、苦しいときも嬉しいときも謹んでそれらをつつみかくさず仏様へ申し上げながら、南無妙法蓮華経とお題目を唱えなさいと。これ以外に真の遊楽、自受法楽の世界はないのですよと、ご教示あそばされておるのです。
 「楽をひらく」のひらくに、拝啓の「啓」を当てることによって、仏様の前にひざまずくという行為、次に我が身の苦楽を思い合わせて唱題に励むという、二つの姿がはっきりと見えてくるのであります。
 大聖人様が仰せられた意味をより正確に理解するということに、少し触れさせていただいた次第です。信仰の上から両方の意味を捉える必要があります。



 〈「生死二門の成仏」をめざす信心〉

 さて、先ほど私は「縁あって名古屋の地で出家得度した」と申し上げました。12歳で出家したのですが、それまでどこに居たかといいますと、現在NHKの朝ドラ「まれ」の舞台になっている、能登であります。
 「まれ」の舞台である輪島市側とは反対側の内浦、即ち、七尾湾(ななおわん)に面した波の静かな半農半漁(はんのうはんぎょ)の一寒村で、小学5年生まで過ごしました。
 そういう村ですから、幼少時の遊びというと野山を駆け回り、飽(あき)ると親たちが早朝の漁に使った小舟を操って海で遊んだものです。当時の漁に使う小舟というと、前進・左右の舵(かじ)取り、それに多少のブレーキ効果などを一本の櫓(ろ)という、長い棒ですべてこなします。
 「櫓を漕こぐこと」や「縄をなうこと」は遊びの中で必要に迫られ、小学4~5年生ですでに習得していました。さらに、木の枝に縄をかけぶら下がって遊ぶので、途中で切れるようないい加減な縄をなっては危ないことを、いやと言うほど肌身で知っておりました。
 たぶん今でも縄をなえると思うし、「櫓を漕いでみろ」と言われれば、漕ぐ自信はあります。おそらく体が覚えていると思います。むかしの素朴な寒村での暮らしと遊びにまつわる、わたくしにとっては懐かしい一コマであります。
 そんな私も、「アッ」という間に歳を重ねてしまいました。したがって今後に残された時間は非常に限られたものであることを十分認識できております。故に一時(いっとき)も無駄にはできません。
 大聖人様は「上野殿後家尼御返事」に、「生いきてをはしき時は生(しょう)の仏、今は死の仏、生死(しょうじ)ともに仏なり。即身成仏(そくしんじょうぶつ)と申す大事の法門これなり」と「成仏には生と死の二門」あることをご教示されております。

「七尾湾能登島付近を回遊するイルカ」


 〈生の成仏〉

 「生てをはしき時の成仏」とは先程来申し上げてきましたところの、仏前にひざまずき苦楽共に思い合わせてお題目を唱えさせていただく、ということであります。
 そして、その具体的な姿はというと、自分の全(すべ)てを見てくださっている仏様と一体になっている、ということです。言いかえれば、自分の心の中へ仏様をお迎え申し上げるところ、ということであります。
 胸中に仏様をしっかりお迎え申し上げる日々、胸中にしっかり仏様という珠(たま)を抱(いだ)いて歩む人生は、まさに安心(あんじん)の境地、現世安穏(げんせあんのん)であります。そして、その瞬間瞬間を積み上げていくことが「積功累徳(しゃっくるいとく)」、即ち功を積み徳を累(かさ)ねるという意味の「功徳」となるのであります。また、この功徳を積ませていただくために精進することを仏道修行というのであり、唯一その結果は来世への「土産(みやげ)」として持ってゆける「功徳善根」であります。
 「名聞名利(みょうもんみょうり)」などという、今世における地位や名誉や財産などは、まったく来世の役には立ちません。
 篤(あつ)き信をもって、「仏と共に日々生きること」こそが最高の人生であり、これを「生(しょう)の成仏」と言い、また経文の「現世安穏・後生善処(ごしょうぜんしょ)」の「現世安穏」なのであります。


 〈死の成仏〉

 次に「死してのちの成仏」ということですが、「千日尼御返事」に、
 「されば故阿仏房の聖霊(しょうりょう)は今いづくにかをはすらんと人は疑ふとも、法華経の明鏡(みょうきょう)をもって其その影をうかべて候へば、霊鷲山(りょうじゅせん)の山の中に多宝仏の宝塔の内に、東むきにをはす(在)と日蓮は見まいらせて候」
と、仰せられております。
 80有余の歳(よわい)をもって、しかも三度(みたび)までも佐渡から身延の大聖人様を求めて足を運ばれた、あの阿仏房亡き後の妻…千日尼がいただいた御書であります。
 おそらく、千日尼が大聖人様に、「亡き夫は今ごろ何処(いずこ)にどうしているでしょうか…」と尋ねたのでしょう。
 それに対して、「法華経の明鏡をもってその姿を見るならば、貴女(あなた)の夫はすでに霊鷲山にある多宝仏の宝塔の中に在(あっ)て、しかも仏と共に東向きに座っておられますよ」と。
 即ち、貴女のご主人はあつき信心によって大きな功徳善根を積み、まさしく成仏を遂げられ、今は仏様のもとにおられますよ、と仰せられているのです。この大聖人様からのお手紙をいただいた…夫と死別した妻の千日尼の心情は、いかばかりであったかはかり知れないものがあります。
 また、「死してのちの成仏」には、次のような御書もあります。
 即ち、「上野殿御返事」に、「相かまへて相かまへて、自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ(刻)、生死の中間(ちゅうげん)に、日蓮かならずむかひにまいり候べし」と。「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかひにまいり候べし」とは、私達の臨終にあたって、生と死の中間に必ず日蓮が迎えに伺いますよ、と仰せられているのであります。
 私達が臨終を迎えた生と死のはざまに大聖人様が迎えにお出いでくださるなんて…そして、あの阿仏房のように仏のお住まいである宝塔の中へお連れいただけるなんて、なんと有り難いことでありませんか。
 この大聖人様の仰せを深く信じ、それを「楽しみにできる信心」を心がけ、ますます仏道に精進いたそうではありませんか。
 その精進する姿こそが、今大会テーマの「正信の継承」ということであり、そしてその後ろ姿を子や孫達に示してゆくことが、法燈相続・令法久住へのご奉公につながるのであります。したがって、これはまさに「我等が使命」と心得て、ますます信行に邁進すべきであります。


 〈最後に〉

 さて最後に、日蓮大聖人様が末法のご本仏としてわたくし共に対して、自らのお心の中を披瀝された御聖訓三題を拝しまして、本日の私の話を閉じたいと存じます。
 「報恩抄」に曰(のたま)わく、
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(全集329頁)
 「諫暁八幡抄」に曰わく、
 「只、妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計(ばか)りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。」(全集585頁)
 同じく、
 「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等(ら)はげませ給へ、はげませ給へ。弘安三年太歳庚辰十二月 日 日蓮花押」(全集589頁)
と。
 日蓮大聖人様のご一生は、まさに諸難の連続であらせられます。ただ末法の一切衆生を救わんとの一心より、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。(乃至)無間地獄の道をふさぐ」と仰せられているのであります。
 また「妙法蓮華経の五字七字を、日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計(ばか)りなり」と。それはちょうど「母親が赤子の口に懸命(けんめい)に乳を入れんとはげむ慈悲の心と同じ思いである」とのご心中を披瀝されておられます。
 そして、大聖人様のご遺言書とも称される、「諫暁八幡抄」の最後の最後のところには、「末法には法華経の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等(ら)はげませ給へ、はげませ給へ」と。「はげませ給へ、はげませ給へ」と二度にわたって私共を激励くださっておられます。ありがたいことですね。
 本日より気持ちをあらためて、信心修行に更なる精進をいたしましょう。
 以上をもちまして、私の講演とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

 (継命新聞 平成27年6月15日号掲載)